もう人生狂わせて

このブログを始めた理由は自分のしていることを発信して、いろんな人に幅広く知ってもらおうという狙いがあったのですが、前回のクソエントリなど全く関係ないものを書いちゃうことをものすごく反省しています。

たまには自分のやっていることへ対する姿勢、デザインに取り組む態度、将来のことなど真面目に書かないとなんでブログやっているのかマジで分からないので。

たまには真面目な記事書きます。

前回のクソエントリに関してはものすごく反省しています。

 

ランドスケープアーキテクチャ

ぼくは普段自分のやっていることについてあんまり言わないんですが、「ランドスケープアーキテクチャー」というものをやってます。

ランドスケープアーキテクチャーというのは建築物や植栽、地形、その土地の歴史や文化を景観としてデザインする分野のことを言います。

建築とは少し違う、かな?

そやさん曰く、「男子のロマンの詰まったやつ」だそうです、分かります。

 

実際のデザインされたものって言えば例えばニューヨークの「グラウンドゼロ」。

http://i.huffpost.com/gen/2047458/thumbs/o-911-900.jpg?2

出典:www.huffingtonpost.jp

9.11のあと作られたものです。

倒壊したビルの跡地が残るように舗装されており、その周りには植栽、モニュメントである「鉄骨の十字架」が設置されています。

ここを訪れる人にあの日のことを思い出させ、そして世界中に平和への祈りを発信する場として作られました。

 

日本にあるものなら「代官山ヒルサイドテラス/蔦屋書店」とかです。

http://fashionpost.jp/article/wp-content/uploads/2012/06/20130123tsutaya3.jpg

出典:news.livedoor.com

読書体験を一新したデザインになっています。

建築家の槇文彦さんという方のデザインですが、視線に基づいた建物・植栽の配置や導線などがとてもよく計算されています。

最近毎週のように代官山行ってるんですが、実際に自分で歩いて、見て、体感してみるとその繊細な設計がよく分かります。

 

まあこういうものを作ることをやってます。

簡単に言うと、地面をベースにした時間・空間のデザインのことですね。

 

デザインに惹かれるワケ

そもそもこの分野に惹かれたのは「その場所に訪れる人に寄り添ったものを作る」ということに魅力を感じたからです。

その空間・場所を訪れる人に享受される場を提供するっていう点にものすごく惹かれています。

もう昔のことですが、かっ◯ちゃんの某B社で業務をしていたことがありまして。

この会社でいろんなことを学んだんですが、何よりもユーザーに寄り添うことの大切さというのが非常にぼくに刺さりました。

これ、何をするにしてもすごく本質を捉えていると思っていて。

ぼくが建築ではなくこの分野を選んだのは建築だとどうしても無機質になってしまいがちで怖いからです。

建築家が全員そうではないけれど、たとえば商業施設を作るとなったときに外側は作ってもその中の体験までは作れないわけで。

その場所の文化や歴史までは汲み取れないわけで。

人の目線の動きやその先に何があって、樹木を抜けたらこんな景色が、角を曲がったらこんな風景がそこには広がっていて、どんな感情の変化があって行動の変化があって、どういう時間を過ごすのかっていうのを考えるのがものすごく楽しんです。

そういう時間と文化を作るものに携わりたいと思ってこの分野に飛び込みました。

 

この分野で生きていく

ただこの分野、日本ではめちゃくちゃマイナーです。

この記事でその名前を初めて知った人の方が多いと思います。

日本の業界が非常に閉塞的でかつ古き良きしきたりに拘ってるっていうのもまあ原因と言えば原因なんですが、文化的な問題もあります。

 

日本ではあまりこういう考え方っていうのはされてないけれど、アメリカとかだと「どういう場所に家があるか」とかっていうのが結構重要になっています。

日本の場合は港区みたいな地名とか地価でその空間の価値って決まりますが、海外の場合は周辺環境(周りに何があるか、どういう機能・文化を有しているか)で評価される傾向があるわけです。

イギリスとかも歴史的・文化的景観を保全して調和していくことが結構重要視されるようになってきていて、これが日本と海外でランドスケープアーキテクトの知名度に差がある原因の一つになっています。

 

こういう背景もあり、日本だと公共事業がその仕事の多くを占めています。

そのため多くの仕事はそのほとんどを大手設計事務所が請け負っています。

小さな事務所とかでも仕事あるんですが、大抵そんなに大きくない地元の公園とかのデザインをすることがほとんどです。

設計以外にも一応仕事はあるんですが、計画の分野でいうならコンサル、管理の分野でいうなら植栽管理や景観保全って感じでどちらかと言うと今あるものの改善だったり条例とか作ったりみたいなことなんですね。

そんなこんなで日本で生きていくにはとても厳しい状況です。

 

海外でデザインを仕事にすること

前述のこともあり、日本でこの仕事をしていくとあまり大きなインパクトというか、「体験」を提供できないと思ってます。 

そのため海外の大学院に進んでそのまま海外の事務所に入るのが「今のぼくにとって」ベストな選択です。

まあ日常英会話ぐらいなら差し支えないし(専門用語?知りません)、しっかりと成果を残していくことに注力すれば何とかなりそうではあります。

でも状況なんて次の瞬間一転するもんだし、人にいろいろ聞いたところで他の誰かの答えはぼくの正解じゃないんで、常にアンテナ張っておきながら意思決定をしていこうと思ってます。

ひょっとしたら学部出てそのままアジアに飛び出すかもしれないしね。

ですが少なくとも海外を舞台にはしたいですね(仕事の多さ、規模の大きさで考えて)。

 

 場所ではなく場を作る

今の日本の景観とか街並みとかまじで破綻してると思ってて。

どう見てもヤバイじゃん 、汚ぇし。

文化も何もあったもんじゃないんですよね…

コミュニティーの形成と称していろんな場所・空間がデザインされてますが、ぶっちゃけ成功してないし。

無機質な場所より、心が通った場をもっと増やしていくのがぼくのこの分野での何よりの目標です。

最初に書いた通り、「そこを訪れる人に享受される場」をデザインしていきたいと思ってます。

青いと言われようと何だろうと、一度決めた以上は運ゲーでも何でも構わないから最後までやり切るつもりですけどね。

 

まあこんなこと書いたところでこれ読んでる人の9割は興味ないことだと思いますが。

「へ〜〜、こんな仕事あるんだ」ぐらいのことは覚えておいてくれたら日本でもこの業界が盛り上がる一助となるかもしれないので嬉しいです。

 

珍しく真面目な記事ですね、ええ。

ほんとキャラじゃねぇ。

こんなことしてる場合じゃないんだが…

2年の後半ぶっ倒れてテスト受けられなかったせいで消えていった単位を拾い直すので忙しい…

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みずまりが心荒んだときに見る映画5選

ぼくの知り合いにみずまりという人がいます。

お酒を飲むと台風みたいになるということでぼくに有名です。

彼女、ものすごくいい人で普通に美人、加えて間違いなく優秀なんですが(慶應ガールだし)、時々人が変わったように荒れます。

ここ最近特にひどいです、誰かいい人紹介してあげてください。

 

さて、それで彼女が荒れるとですね、ぼくとさんとー、つっちーが話を聞くんですがものすごく闇なんですよ。

面白いなァ〜〜ってなるときもあるんですが、大抵「この子は大丈夫だろうか…」という筆舌尽くしがたい不安感に苛まれます。

強く生きて欲しいというのが最近の彼女に対する印象です。

たまに思い出すんですが、ぼくの方が年下だな?

まあ彼女には一人で自分のことを振り返るというか見つめ直す時間を作るというか…

とりあえず落ち着いて欲しいので冷静になるために映画でも見たら?ってことでみずまりにオススメの映画を紹介します。

もし見たことのあるやつあったらごめんな。

 

最近のキュレーションメディアはやたら長文をだらだらと頭悪い人みたいに書くことが正義だと思っているらしく、「絶対美味しいスイーツ20選」とか「おすすめグルメ30選」とかやってますが、それキュレーションしてねぇからな!!

母数が1000とかあるなら分かるけどぜってぇ無いだろ!!

ページ複数あるの面倒くせぇんだよ!!

本当のキュレーションていうのは、こういうことを言います。

よく見なさい。

 

1.ラブアクチュアリー

この映画は恋愛に疲れて幸せになりたいと思ったときに見てください。

ざっとあらすじを話すと、複数の男女のラブストーリーをグランドホテル形式で描いた映画です。

新しくイギリス首相に就任した男性と秘書、弟に恋人を取られた人気作家とそのコテージのお手伝いさん、新婚の親友の奥さんがずっと好きだった作家の男性など、まさに十人十色な登場人物たちの恋愛模様が複雑に絡み合って物語が進んでいきます。

この映画何がいいって、ものすごく見る人に寄り添った映画なんです。

決して派手さはありません、どちらかというとありふれた恋愛模様を描いています。

だがそれがいい

「ああーー分かるわーー」とか「だよね〜〜」ってなるようなシーンがたくさんあって常に共感しながら見ることができるのがいいなぁって思ってます。

辛いときっていうのはただ漠然と幸せになりたいじゃん。

そういうときに疑似体験というか、等身大に描かれた映画を見て幸せに浸るのは効果的だと思います。

見たあと絶対いい恋愛したくなるはず。

すごくポジティブな気持ちで見終えることができる一作です。

 

2.最高の人生の見つけ方

この映画は「自分は生きてて何をしたいんだろ〜〜」ってなって幸せになりたいときに見てください。

似た題名の「最高の人生の終わり方」ってやつもありますが、そっちはいいです、無視です。

家族のために真面目に生きてきて、お金持ちではないけれど幸せな家庭を築いてきた男性と、会社経営のためだけに生きてきて、お金はたくさん持っているけれど家族との関係は最悪な男性が同じ病室で、同じ時期に余命半年を宣告されます。

「死ぬ前、最後にやりたいことってなんだ?」ということで二人で「やりたいことリスト」を実行しに世界中を旅して回るというストーリーです。

自分のやりたいことできてる?というのがこの映画のテーマなんですがこれって案外ほとんどの人が出来ていないんじゃないかな、と思います。

家族のために責任を負って生きても、お金のためだけに生きてきても、それでもやり残したことがあるっていうのは当たり前かもしれないけれど、結構残酷な真実なわけで。

「こんなにも満足できないんだな〜〜」って。

本当なんでもない毎日の繰り返しで人生って成り立っているわけですが、少しは自分に正直に、かつワガママにやりたいことに打ち込む時間を作ってもいいんじゃないですかね。

 

3.マイ・インターン

この映画は「仕事が上手くいかなくてつらい」と思って幸せになりたいときに見てください。

主演のアン・ハサウェイの代表作でもある「プラダを着た悪魔」もオススメです、余力があったら見ることをオススメします。

ブルックリンのベンチャーEC企業の社長であるアン・ハサウェイは仕事も子育ても頑張る女性ですが、ここのところ思い通りに経営が出来ていません。

新しいCEOを社外から迎え入れようかという決断を迫られる中、シニアインターンを雇うことになります。

このシニアインターン役がロバート・デ・ニーロなんですが、彼女はデ・ニーロと関わっていく中で自分にとって本当に大切なものに気付いたり、社長として重要な決断を下していくことになります。

 

まぁみずまりはバリバリ働きたい欲あるし、それでいて結婚したいと連呼してるから非常に感情移入しやすいんじゃないですかね。

働く女性の感情がマス受けするように細かく描かれているので、誰が見ても外さないと思います。

仕事も恋愛も頑張りたい人にオススメです。 

 

4.ターミナル

この映画は人間関係に疲れて「幸せになりたい」って思ったときに見るといい映画です。

トムハンクス主演の心がホッコリする作品になっています。

ヨーロッパのクラコウジア出身の主人公(トムハンクス)はある目的のためアメリカに行くのですが、祖国がクーデターのため国籍のない人間となってしまい、空港から出られなくなります。

行く当てをなくした主人公は仕方なく空港内で生活をしていくのですが、その生活を通して様々な人と出会っていき、それぞれの抱える悩みであったりバックグラウンドと触れ合っていくことになります。

そして彼がアメリカに来た目的とは…

 

何と言ってもトムハンクスの演技力はさすがだなぁ〜〜ってなるし一風変わったストーリーに見えますが、人間らしさを感じることのできる良い映画だなって思ってます。

人間関係に疲弊しきった顔してるときがあるので見てください。

 

5.バケモノの子

ネタが尽きてきました。

みずまりに刺さる映画って難しいなと思ったので適当に突っ込みます。

はい、この映画、ぼくが去年3回も映画館で見たことで有名ですね。

当時好きだった子とデート行くときに見に行ったんですが、前日、森川カリーに強制的にこの映画連れて行かれて翌日のデートは何も楽しくなかったです。

ネタバレとか悪だから。

許すまじ。

 

でですね、バケモノたちの世界に迷い込んだ人間の子供の成長を描いた映画です。

細田守クオリティーは健在で、アニメーションなんですがあっという間にその世界に引きずり込まれます。

単純に娯楽映画として見る分にはとても楽しい映画だし、 親子の関係っていうものを見直すいい機会になるんじゃないでしょうか。

ちなみにぼくは熊徹のキャラと役所広司さんの迫真の演技にやられました泣きました。

不器用ながらも一生懸命なところがたまらなくカッコよかったです。

ちなみに泣いたのはカリーと行ったときです、意中の子とのデートでは泣けませんでした(だって前日に見て内容知ってるからね!!)

許すまじ。

 

まとめ

酔った勢いで夜中2時にライン稼働させないでくださいお願いします。

今回選んだ映画はそれなりに有名どころを選んだので入手しやすいかと思います。

あと「幸せになりたい」って思ったときに見る映画なので、どれもハッピーエンドのものを紹介しました。

誰一人悪人は登場しないし(敵はいるけどなんというか"悪人"ではない)、誰も不幸にならないので心安らかに見てください。 

あ、最初にも書きましたがみずまりはいい人です。

我こそはという男性、今すぐ彼女にアタックしなさい。

 

また今度93飲みしような。

反対意見を述べるのは難しいよねって話

先日新しい後輩ができました。

まあ後輩と言っても一緒に何かをしたり、直接関係があるわけではないのですが、顔をあわせる機会があって少しだけ話をしました。

若いわ。

19歳ってこんなにもフレッシュなのね…

自分が今年22歳になるという現実を突きつけられて辛かったです。

それはさておき、これからこの後輩たちと接する機会があるとすればまずは某フィードバック会なのですが、個人的には少し怖くもあるんですよね。

そこで、その席がより有意義なものになるためにいくつか戒めをまとめておきます。

 

反対意見を言われること

そもそもですね、自分が一生懸命頑張ったことに対して反対意見を言われるっていうことは大抵の人にとってそんなに気分のいいものではありません。

反対意見ってことは「それは違うよ」ってことです。

ここは心に刻んでおいたほうがいいです。

ですが大抵の人は自分にアドバイスを求められた場合、勘違いしてしまうんですね。

「自分のほうが賢い」「自分の意見が正しい」と。

それ故ペラペラと持論を展開し、聞いてもないようなことまで喋ります。

これ、聴く側としてはなかなか苦痛です。

アドバイスする側が多少の自己満足を得られるだけで、それ以外はお互いにとって何のメリットもありません。

 

アドバイスを求める側が「本当に求めているもの」

彼らがアドバイスを求めるのは「今自分たちが取り組んでいるものをより高いレベルのものにしたい」というたった一つの想いがあるからです。

自分の進路だろうが、勉強に関することだろうが、ビジネスプランに関することだろうが同じです。

「より良いものにしたい」「理想に近づけたい」、そのために彼らはあなたにアドバイス=助言を求めています。

ですからアドバイスをする側は、

・ただ質問に答える

・粗探しをする

・持論を展開する

のではなく、

・彼らの取り組んでいるものをより彼らの理想に近づける手伝いをする

という目線で意見を出す必要があります。

この考えが根幹にあればやたらめったら否定をするようなこともなく、聞かれていないことを喋ることもありません。

何より本当に実のある話ができます。

 

それって本当に人のためですか

ここで注意しておきたいのが、アドバイスする側も悪意があって厳しい意見を述べているわけではないということです。

これは頭の片隅に入れておきましょう、さもなくば血みどろの殴り合いになります。

ですがアドバイスする側が質問する側の本意に気づけていないパターンが多いのも事実なわけで。

そもそも、「相手のために」という考えで助言をすると、どうしても的を得ていない意見を言ってしまいがちです。

自分が与えようとしていることと相手が求めているものの間に埋めがたいギャップができてしまうわけです。

相手のためにという心がけ自体は本来ポジティブなものですが、このようなすれ違いが起きてしまう危険性を秘めています。

 

それならどうすればいいか。

こういうふうなアイディアがあればきっと上手くいく…

そのプランはこういう機能があった方がいいんじゃないか…

もっとこういう勉強をすれば理想に近づくんじゃないか…

といった考えは「相手のために」という考えに基づいた意見ですが、これらの意見はすべて妄想です。

「は?」という可能性があるわけです。

そこで相手のためにというスタンスではなく、相手の立場に立って考えることが大切です。

「人のために」と「人の立場に立って」というのは違うんですね。

これに関してはCAの藤田さんがまるでぼくの意見を代弁しているかのような記事を書いていたので、詳しくはリンク先で。

ameblo.jp

 

本質はどこだ

じゃあ実際に自分と違う意見だったり明らかに間違った意見を相手が持っていた場合、どういう風に自分の意見を伝えればいいのか。

ぼくは聞いた瞬間にすぐ「それ違うよね」と言わず、「なんでそうしたの?」というとだいぶ違うのではないかと思っています。

この「なんで?」というのは不思議なもので、これだけ言ってると本質が深掘りできます。

「こういう風に考えているんですが」

「なんでそういう風に考えたの?」

「それは・・・で、・・・で…」

「なるほど、確かにそれはいいね、それならこっちはなんでこうしたの?」

「それは…」

みたいな感じで、自分が否定していくのではなく相手が自分の考え、行動を客観的に振り返ることで自分で間違えやよりベターなものに気づけるようになります。

で、相手に考えさせた後で、「ぼくはこう思うんだよね」と自分の意見を添えます。

いいですか、主張しません、添えます。

意見をピックアップしてどれを選ぶか決めるのは相手なのでこちらから強く主張する必要はありません。

そしてこの手法の一番いい点は「相手が自分で考える」ということです。

 

仮にアドバイスする側が100パー正しかったとしてですよ、アドバイスを求めている側はその人と会っていないときは正しくないことをやっていたり、迷走しているわけです。

なんて言うんですかね、手法を与えるのではなく、文化を根付かせるべきだと思っています。

そうすると自分で考え、状況に対応した判断をし、そのときごとにベストな行動を取れます。

あとお互いにより深い議論ができるので頭がめちゃくちゃ鍛えられます。

まあこういう風に意見を述べるのがめちゃくちゃ難しいんですが…

それでも意識してこのスタンスを貫く価値はあると思っています。

 

全部同じなわけないでしょう

人って違うんですよ、当たり前ですけど。

違うから、分からないから受け入れなくていいっていう姿勢はほんと偏差値5で。

どんなに自分と違う意見でも一旦受け入れて飲み込みましょう、それが自分自身の教養にもなり、人の気持ちを考える要素になり、果ては自分をカッコよくしてくれるものになります。

さすがに戦争は善だ!!みたいな話は受け入れなくていいです、悪です、ボキャブラリーの限り罵倒しましょう。

そんなこんなで反対意見を言うときに気をつけたいことでした。

と言うより完全にフィードバックするときに気をつけたいことだねこれ。

 

今まではアドバイスをもらう側だったわけですが、今年からアドバイスする側になるので、そのときに「こういうこと言われると嫌だな〜〜」とかっていうのを考えて戒めとして備忘録に記しました。

今年の後輩たちが切磋琢磨してくれると嬉しいです。

 

っていうのを熱にうなされながら書いてました。

意識が朦朧としているので文章の推敲・リライトはしません。

あ、この記事読んだ人はリプでオススメの風邪薬教えてくださいお願いします…

人と同じようにやるって危険だねって話

最近、人とまったく同じことをするのって怖いなぁと感じています。

人と同じだから安心、っていうこともまあ確かにあるんですが、まったく同じだとむしろ不安感の方が強い今日この頃です。

この理由は後で詳しく述べるとして、今回はぼくなりになぜ人と全く同じことをするのが恐ろしいのか、また人と同じことをすることによって引き起こされ得る弊害について考えてみました。

 

真似ること

真似ることというのは非常に合理的な手段です。

成功した人の手順を真似る、自分より上手い人のやり方を真似る、考えを真似る…

模倣は自分のやっていることを成功に近づけさせるための第一歩だと言っても過言ではありません。

これは大きなメリットでもあり、勉強に限らず、仕事、プライベート、趣味においても上達するのに非常に有効です。

一般的に他人の真似をしない場合、

自分で考える→トライandエラーを繰り返す→失敗要因について分析→実行…

の無限ループを繰り返していくことになります。

そしてどこかのタイミングでそのループから抜け出し(抜け出せない場合もありますが)、自分の望んだ結果であったり、成功というものが付いて来ることになります。

一方、真似る場合は効率の悪い手法、実際に失敗した手法を避けて通ることができるので、「無駄」がありません。

「上手くいかない可能性が高い」ことを選択肢から切っていけるわけです。

こうやって聞くと上手くいっている人の真似をしたりセンスのある人と同じようにやる方がいいんじゃないかと思えます。

しかしここに模倣の危険性があります。

 

模倣が孕む危険性

そもそも、

・Aさんは成功を収めており、Aさんは手法Bを用いた

というのと、

・あなたがその手法で成功できる

というのは別の話です。

同じ手法が通用するのは条件がまったく同じ場合に限られています。

ビジネスでいうならば、市場環境が同じ、経営者の能力が同じ、使えるリソースが同じ、などというふうに周辺環境がすべて定数の場合にのみ有効です。

でも実際そんな上手くいくわけなくて。

人間は圧倒的多数の予測不可能な変数の中で生きているわけで、そんな安易に横展開なんて出来ません。

CさんとDさんの能力はイコールではありません。

考え方も、得手不得手も違います。

市場環境だって次の瞬間も同じということはあり得ません。

リソースだって、一緒のはずがない。

 

こうやって考えるとただ真似るということがいかにナンセンスなことか分かります。

要するに、他の場面では有効だったものが今の自分の条件下では全く使えない可能性があるわけです。

模倣の弊害の例を挙げるとするとキュレーションメディアとか分かりやすいんじゃないですかね。

成功事例の真似をしてある程度のpvを稼ぐことはできる、しかしその先特に何かしらあるかというとそうではない。

手法を真似てはみたものの、鳴かず飛ばずのところが多く見られます。

この「ただ真似るだけで終わってしまう」というのが模倣の何よりの恐ろしい点です。

 

模倣は悪なのか

じゃあ模倣することは悪いことなのか?と言うとそうではありません。

最初にも書きましたが、模倣すること自体は非常に合理的な手段です。

選択肢に優先順位をつけることができるというだけでも価値はあります。

問題なのは思考停止横展開プレイです。

そもそもアイデアもプランも、ものづくりですらそうなんですけど、シンプルなものってもう大抵出尽くしてる感あって、ある程度作り込まれた、手の込んだ複雑なものでないと「同じ」という評価を下される時代になっています。

その象徴があの東京オリンピックロゴ事件であり(真偽についての議論はパス)、素人目には違いってよく分からないものです。

でもサービスであったり製品であったりを使うのってその素人なわけなので、素人から見たときにいかに違い=価値を提供できるか、ということがとても重要です。

 

何度も繰り返しますが、模倣は非常に合理的なやり方で、「何をしていいのかわからない状態」においては絶大な効力を発揮します。

それでは真似るということは一体どこまで許されるのでしょう。

 

守・破・離

日本には古来から「守・破・離」という言葉が存在します。

これは武道などで、

【守】…基本に忠実に学び、実践すること。

【破】…型を破ること。自分らしさや独特のものを創り出そうとすること。

【離】…基本から離れること。完全に自分のものとして昇華させる。

ということを表しています。

ぼくは模倣が許されるのは何事も最初だけだと思っています。

正確には、模倣したもので通用するのは最初だけだと思っています。

初めてやることでは「何が正しいかも分からない」、「そもそも何が分からないかも分からない」という事態になりがちです。というかほとんど全員こうなるでしょう。

そのことに対する知見がないので当たり前と言えば当たり前です。

この状態の時に自分で考えるのはむしろリスクの方が大きく、ただの「無駄」にしかならない可能性があります。

役に立たない無駄です。

この「役に立たない無駄」を排除するために人のやったことを参考にするのはとても賢いやり方だと思います。

しかしそればかりに頼っていると「埋没」してしまいます。

そこに価値を生み出せないわけです。

そこで、ある程度基礎基本が理解できたら徹底して自分で考える必要があります。

徹底してクリエイティブである必要があります。

 

要するに自分で考えないといけない

至極当然のことです。

ですが思考停止でゴリ押ししている人が多いのも事実です。

ぼくが模倣が怖いという理由は「埋もれるから」というのが正しいかもしれません。

確かに模倣は合理的ですが、合理的=正しいというわけではないのです。

むしろ無駄なことにこそ価値があったりします。

実際に自分で考えて失敗して、というようなバックグラウンドがないと「味」は出ないし、本物の価値もついてこないと思います。

何より、何が素晴らしくないのかを知らないと、何が素晴らしいのかも分かるはずありません。

結局、死ぬほど考えて仕事したり勉強したりしてる人の方がいい結果に結びつきやすいかと思います。

体感ですけどね。

 

なんか最後の方めっちゃ雑にまとめてしまった。

考えをまとめて文章書くの、飽きが来るんだよ…