読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人と同じようにやるって危険だねって話

雑記

最近、人とまったく同じことをするのって怖いなぁと感じています。

人と同じだから安心、っていうこともまあ確かにあるんですが、まったく同じだとむしろ不安感の方が強い今日この頃です。

この理由は後で詳しく述べるとして、今回はぼくなりになぜ人と全く同じことをするのが恐ろしいのか、また人と同じことをすることによって引き起こされ得る弊害について考えてみました。

 

真似ること

真似ることというのは非常に合理的な手段です。

成功した人の手順を真似る、自分より上手い人のやり方を真似る、考えを真似る…

模倣は自分のやっていることを成功に近づけさせるための第一歩だと言っても過言ではありません。

これは大きなメリットでもあり、勉強に限らず、仕事、プライベート、趣味においても上達するのに非常に有効です。

一般的に他人の真似をしない場合、

自分で考える→トライandエラーを繰り返す→失敗要因について分析→実行…

の無限ループを繰り返していくことになります。

そしてどこかのタイミングでそのループから抜け出し(抜け出せない場合もありますが)、自分の望んだ結果であったり、成功というものが付いて来ることになります。

一方、真似る場合は効率の悪い手法、実際に失敗した手法を避けて通ることができるので、「無駄」がありません。

「上手くいかない可能性が高い」ことを選択肢から切っていけるわけです。

こうやって聞くと上手くいっている人の真似をしたりセンスのある人と同じようにやる方がいいんじゃないかと思えます。

しかしここに模倣の危険性があります。

 

模倣が孕む危険性

そもそも、

・Aさんは成功を収めており、Aさんは手法Bを用いた

というのと、

・あなたがその手法で成功できる

というのは別の話です。

同じ手法が通用するのは条件がまったく同じ場合に限られています。

ビジネスでいうならば、市場環境が同じ、経営者の能力が同じ、使えるリソースが同じ、などというふうに周辺環境がすべて定数の場合にのみ有効です。

でも実際そんな上手くいくわけなくて。

人間は圧倒的多数の予測不可能な変数の中で生きているわけで、そんな安易に横展開なんて出来ません。

CさんとDさんの能力はイコールではありません。

考え方も、得手不得手も違います。

市場環境だって次の瞬間も同じということはあり得ません。

リソースだって、一緒のはずがない。

 

こうやって考えるとただ真似るということがいかにナンセンスなことか分かります。

要するに、他の場面では有効だったものが今の自分の条件下では全く使えない可能性があるわけです。

模倣の弊害の例を挙げるとするとキュレーションメディアとか分かりやすいんじゃないですかね。

成功事例の真似をしてある程度のpvを稼ぐことはできる、しかしその先特に何かしらあるかというとそうではない。

手法を真似てはみたものの、鳴かず飛ばずのところが多く見られます。

この「ただ真似るだけで終わってしまう」というのが模倣の何よりの恐ろしい点です。

 

模倣は悪なのか

じゃあ模倣することは悪いことなのか?と言うとそうではありません。

最初にも書きましたが、模倣すること自体は非常に合理的な手段です。

選択肢に優先順位をつけることができるというだけでも価値はあります。

問題なのは思考停止横展開プレイです。

そもそもアイデアもプランも、ものづくりですらそうなんですけど、シンプルなものってもう大抵出尽くしてる感あって、ある程度作り込まれた、手の込んだ複雑なものでないと「同じ」という評価を下される時代になっています。

その象徴があの東京オリンピックロゴ事件であり(真偽についての議論はパス)、素人目には違いってよく分からないものです。

でもサービスであったり製品であったりを使うのってその素人なわけなので、素人から見たときにいかに違い=価値を提供できるか、ということがとても重要です。

 

何度も繰り返しますが、模倣は非常に合理的なやり方で、「何をしていいのかわからない状態」においては絶大な効力を発揮します。

それでは真似るということは一体どこまで許されるのでしょう。

 

守・破・離

日本には古来から「守・破・離」という言葉が存在します。

これは武道などで、

【守】…基本に忠実に学び、実践すること。

【破】…型を破ること。自分らしさや独特のものを創り出そうとすること。

【離】…基本から離れること。完全に自分のものとして昇華させる。

ということを表しています。

ぼくは模倣が許されるのは何事も最初だけだと思っています。

正確には、模倣したもので通用するのは最初だけだと思っています。

初めてやることでは「何が正しいかも分からない」、「そもそも何が分からないかも分からない」という事態になりがちです。というかほとんど全員こうなるでしょう。

そのことに対する知見がないので当たり前と言えば当たり前です。

この状態の時に自分で考えるのはむしろリスクの方が大きく、ただの「無駄」にしかならない可能性があります。

役に立たない無駄です。

この「役に立たない無駄」を排除するために人のやったことを参考にするのはとても賢いやり方だと思います。

しかしそればかりに頼っていると「埋没」してしまいます。

そこに価値を生み出せないわけです。

そこで、ある程度基礎基本が理解できたら徹底して自分で考える必要があります。

徹底してクリエイティブである必要があります。

 

要するに自分で考えないといけない

至極当然のことです。

ですが思考停止でゴリ押ししている人が多いのも事実です。

ぼくが模倣が怖いという理由は「埋もれるから」というのが正しいかもしれません。

確かに模倣は合理的ですが、合理的=正しいというわけではないのです。

むしろ無駄なことにこそ価値があったりします。

実際に自分で考えて失敗して、というようなバックグラウンドがないと「味」は出ないし、本物の価値もついてこないと思います。

何より、何が素晴らしくないのかを知らないと、何が素晴らしいのかも分かるはずありません。

結局、死ぬほど考えて仕事したり勉強したりしてる人の方がいい結果に結びつきやすいかと思います。

体感ですけどね。

 

なんか最後の方めっちゃ雑にまとめてしまった。

考えをまとめて文章書くの、飽きが来るんだよ…